自己紹介

詳しいプロフィール

はじめまして。みずほです。

兵庫県の瀬戸内沿岸、最寄り駅は無人駅という田舎に住んでいます。

2018年からフリーのWebライターとして働き始めました。

まずは、これまでの私のお話を。

長くて楽しくない話です。
お時間があるときにどうぞ。

順風満帆の大学生活から転落人生へ

私は地元の進学校をトップの成績で卒業し、京都大学に現役合格しました。

大学では授業、レポート、試験、サークル、アルバイトと充実した毎日を過ごしていました。

転機は、3回生になる春に訪れました。

不眠症の始まり

私は、サークルの延長でとある実行委員会のボランティアをすることになりました。

「人手が足りない」と聞いたのがきっかけです。力になりたいと純粋に思っていました。

しかし、これが病気への一歩でした。

満足に机もない事務所、バイトばかりでろくに顔を出してくれない直属の上司。

何より怖かったのは、実行委員会のOBからの怒鳴り声でした。

「こんなこともできないのか」「本当に京大生か」

これは、自分のスキルがないのだと実感していたので、耐えられました。

期待してくれているんだと、自分に言い聞かせました。

しかし、質問をすれば「自分で考えろ!」と怒鳴られ、

自分なりに考えて仕事を進めれば「勝手に仕事を進めるな!」と怒られる日々。

今思い返すと、完全なパワハラですね。ここで思い切ってやめておけばよかったのですね。せめて誰かに相談しておけば辛い思いも軽くなったかもしれません。

それでも、自分で引き受けたことだからと事務所には通いました。

幸い、同じサークルのメンバーも何人かいたのでなんとか通えましたね。フォローしてくれる先輩もいました。

毎日日付が変わるころ、ふらふらになって家に帰りつき、シャワーを浴び、眠ろうとします。

でも、眠れないのです。どんなに目をつぶっても、眠気がやってこないのです。

身体はこんなに疲れているのに。

私は状況ではさておき、メンバーの尽力の甲斐あってイベントは大成功しました。

ねぎらいあうメンバーの中、私はひたすら安心していました。


みずほ
みずほ
もういいんだ、もう事務所には行かなくていい。やっと終わった、やっと眠れる!

でも、不眠症は治りませんでした。

昼夜逆転生活の始まり

夜眠れなくなった私。体重は1ヵ月で5キロ減っていました。

うつ病の症状の1つに、「明らかな食欲不振や体重減少」があります。

参考:こころの耳 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト

昼夜逆転に関しては、「みんな昼夜逆転生活してるし…」下宿している大学生にはよくあることだと考えていたのです。

話は変わって、私の専攻は生涯教育学。読書をテーマにした卒論を書きたいなと漠然と思っていました。

大学では必須単位はほとんど取り終わっていたので、ゼミが主な授業でした。

秋になり、就職活動の季節がやってきました。しかし、私は公務員志望だったため、民間企業への就活は行いませんでした。

まだこの時期は集中力があったので、公務員試験の勉強をしながら卒論の準備をしていました。

しかし、昼夜逆転生活は治る気配がありません。私は昼夜逆転生活のまま、3回生を終え、4回生になりました。

国会図書館の最終面接落ち

本が大好きだった私は、国会図書館の採用試験を受けました。

勉強はなんとかできる状態だったので、一次試験と二次試験は無事突破。最終面接までたどり着くことができました。

最終面接13人のうち、選ばれるのは若干名。

私は最終面接に落ちました。

理由は簡単です。面接の練習量が圧倒的に不足していたからです。

今も、不合格の封筒を受け取った時のことを覚えています。

軽く、薄い封筒でした。開封する前から不合格であることを悟りました。

実際に「不合格」の文字を見たときの、地面がなくなったような落下感は今も忘れられません。

大学の就職サポートセンターは最大限活用しましょう。面接対策も行ってくれます。

就活塾などには十分注意してください。あなたの弱みに付け込む悪徳業者もいるので…

卒論が書けない!卒業後の未来が見えない!

このあたりから、集中力がどんどんなくなっていきます。

参考文献を読もうとしても、文字が頭に入ってきません。何度も何度も、同じ行を繰り返し読んでいました。

頭の中は常にほてっていて、ぐるぐると思考が渦巻いていました。

就職先が見つからない、どうしよう、就活しなきゃ、卒論書かなきゃ、でもどこに就職したい?

4回生の11月、まとまらない頭ではじき出したのは、「とりあえず大学院に行こう」という非常に安直な結論でした。

しかし、パソコンに向かっても、指が動きません。

なんとか最後の気力を振り絞って、締め切り1時間前に卒論は完成しました。

大学院に進学を希望する学部生の方は、早めに担当教員と話し合ってください!

それによって卒論指導のやり方がまったく違ってきます。

卒論撤回、留年、休学

しかし、せっかく苦労して書き上げた卒論を、提出してからまさかの撤回。

学生課の職員さんも驚いてました。この時点で、留年確定です。

当時は、「こんな中途半端な論文が大学に残るなんてありえない!」なんて本気で考えていたんですね。

その後、寝込みました。起き上がれなかったです。身体も心も限界が来ていました。

4月になってから、ようやく大学の事務掛に出向いて休学を申請しました。期間はとりあえず半年。

精神状態が悪いときは、退職や退学など、重大な決断は先延ばしにしてください。

休職・休学制度があるなら使った方がいいです。

ようやくの病院受診

予約は電話でしました。受診日は1週間後。早い方だと思います。長ければ1ヵ月待ちとかあるので…

受付の女の人が優しい声をしていたので安心できました。

大体1時間ぐらい面談をして、それから本格的な治療に入る、というプロセスでした。

診断は、「適応障害」

精神科ってどんなところだろう…と不安な思いがいっぱいで受診しました。

しかし、普通の内科と変わらないクリニックでした。

面談では、家族構成、家族の精神病の既往歴の有無、病院受診の経緯、現在困っていることについて聞かれました。

ただ、話した内容はよく覚えていません。

とつとつと、眠れない、消えたい、身体が重い…などと伝えました。

お医者さん「うーん、適応障害かな?」

適応障害がどんな病気なのかの説明はあったのかなかったのか…今となっては覚えていません。

リボトリールという薬を1日1錠処方されて、1週間後にまた来てね、と言われました。

療養生活の始まり

こうして、私の療養生活は始まりました。大学に行く必要はなくなったので、1日ベッドに寝転がって天井を見つめていました。

なかなか効かない薬

処方されたリボトリールですが、なかなか効く気配がありませんでした。

副作用があまり出なかったのがありがたかったのですが、欝々とした気分と不眠は一向に治る気配はありません。

1週間後、診察を受けたときに効果が感じられないと話しました。

お医者さん「うーん、効果が出るまで2週間くらいはかかるからね~。」

あ、そうなのか。

リボトリールは1錠のまま、1週間に1度通院する生活が始まりました。

ひたすらボーっとする生活

1週間に1度病院に行く以外は、ほとんどベッドの上で過ごしました。

幸い、下宿の近くにコンビニがあったので食料はそこで買い込んでいました。

食欲は落ちましたね~。

砂をかむようなという言葉が初めて実感できました。

特に薬が効いたという実感がないまま半年が過ぎました。

お医者さんからも復学の許可が出なかったので、半年休学期間を延長することが決まりました。

この時点でゼミの担当教員と面談を行い、現状を伝えました。

対面が難しければ電話、電話もキツければメール、メールもキツければ友達や親を使ってでも、担当教員には連絡を入れておいた方がいいです。

「体調が悪いです」の一言だけでも、相手は事情がわかるので安心してくれます。

復学、二度目の卒論執筆、そして卒業

復学したのは、初診から1年が経った2013年の4月です。

ゼミの先生だけは事情を知っていました。友人には打ち明けていませんでした。

休学の名目は、「思うような就職先が見つからなかったため」でした。

カミングアウトをするかどうかは難しい問題です。少しでも不安なら、カミングアウトしない方がいいのではと思います。特に体調が不安定な時には。

病気を抱えながらの大学生活

6回生になっての授業は、もうゼミ関連だけでした。

ゼミで意見を言わなければいけないのがつらかったですね…

「こんなこと言ったら呆れられるんじゃないか」という不安と常に戦っていました。

卒論の内容に突っ込まれることも恐れていました。

卒論へのダメ出しが自分自身へのダメ出しであるような感覚があったのです。

ゼミ自体の雰囲気はとてもよかったので、病気特有の考え方でしょうね…

卒論自体は、一度書き上げていたものをたたき台にして執筆しました。

まぁまぁてこずりましたが、1回目よりは納得のいく卒論が書けました。

というか、そんなに卒論って重要なものでもないんですよね、今考えると(研究者になりたい人は別として)。

書き上げなければ卒業できない、という意味では重たいですが、卒論の内容でその後の人生がすべて決まるなんてことはあり得ません。

「6回生」での就活

卒論を書く傍ら就職活動もしていましたが、まぁ病気を抱えながらではうまくいくはずもありません。

とにかくスーツを来てストッキングをはいてパンプス履いて…っていう就活スタイルが嫌いで嫌いでしょうがなかったです。

ちなみに、今でもスーツは嫌いです。ヒールもパンプスタイプは嫌いです。7cmヒールとか履けない。ストラップで足首ががっちり固定されているのが好きです。履いててかかとがパカパカするの、イラッイラします(笑)

一度目の就活の失敗を踏まえて、少しでも興味があるところはすべて受けるようにしましたが、直前で体がいうことをきかなくなることが多く、説明会をドタキャンすることもありました。履歴書やESも締め切りに間に合わなかったことが10回以上あります。

ドタキャンはダメですよね…。とりあえず連絡1本入れましょう。あちらも慣れたものです。ふつーに対応してくれました。

就職先が決まらないまま、私は卒業することになりました。

卒業、先が想像できない人生が始まる

2個下の後輩たちと一緒に卒業式に出たのは、ある意味得難い経験です(笑)

顔は笑顔でしたが、内心はこれからどうやって生きていけばいいのかまるでわかりませんでした。

私の大学生活はこんな感じで終わりました。

一度実家に帰ることにしましたが、これがまたうまくいきませんでした…

実家暮らしから再び一人暮らしへ

卒業したので、大学時代の下宿は引き払い、兵庫の実家に帰ってきました。

しかし、両親は私が病気だということを頭ではわかっていても心ではわかっていないようでした。

母とのケンカ

「本当に病気?」

母から投げかけられた言葉で、私は京都へ戻ることを決意しました。

祖母が残してくれた定期預金を切り崩しながらの生活です。

幸いなことに、父は私の味方でした。賃貸物件の検索、内見も父が一緒に動いてくれました。

実家で暮らしたのは4か月くらいでしょうか。

地元で始めたアルバイトも、それで終わりになりました。

また一人暮らしに戻ったものの、私は何をしていいのか目標を見失っていました。

京都で公認会計士に挑戦

無為な日々を送る中で思い出したのが、同じゼミに所属していて監査法人に勤めている友人の存在です。

「資格を取れば一生安泰!」

そんな安易な考えで、公認会計士に挑戦することを決めました。

今思えば双極性障害の躁の時期だったんでしょうね。

片道1時間半くらいかかる学校、週6日授業のあるところに通学することに決めました。

しかし、往々にして躁状態で決めたことはうまくいかないものです。

案の定、問題は起こりました。

精神科病棟への入院

私は精神科病棟に入院したことがあります。

どんなところ?って人も多いと思いますので、入院のきっかけとどんな場所だったかをお伝えします。

入院のきっかけ

ある日、学校に行く電車の中で涙が止まらなくなりました。

停車した駅で降りて、駅員さんに助けてもらいました。

しばらく駅の救護室で休んだ後、学校には休む連絡を入れました。

その日のうちに主治医に電話し、急遽受診しました。

起こったことを話すと、「入院したほうがいいかも」ということでした。

私は楽になりたい一心で、入院を決めました。

入院生活

結論から言えば、入院で得たものは「自分は入院ではよくならない」ということです。

入院したほうが快方に向かう方ももちろんいます!

主治医の判断を第一に考えてください。

机とベッド、プリペイド式のテレビしかない個室での入院生活でした。

ビジネスホテルのような一室で、かなりこぎれいな部屋でした。

一日中、薬と食事の時間以外は本を読むしかない生活です。

診察は1週間に1度でした。

入院から2週間経った後、リハビリとして作業療法に参加し始めました。

これがまったく面白くない。

2度参加しただけで、私はうんざりしてしまいました。

さらに、相性のすこぶる悪い入院患者さんが同じ個室のフロアにいました。

その人と顔を合わすのが苦痛で、入院しているのに心休まらない状態でした。

1ヵ月の入院期間が終了したときは、心底ほっとしました。

ひたすら迷走しながらの受験勉強

入院生活を終えた私。どうしたのかというと、懲りずに受験勉強に戻りました。

双極性障害はハイな状態とうつな状態を繰り返す病気なので、やれると思ったときは本当にやれる気がするんですね。

困ったことに私は双極性障害Ⅱ型。軽躁状態と言って、医師にも「調子がいいですね」と誤解されやすい状態です。

しかし、気分の浮き沈みが激しい状態で、受験勉強はうまくいきませんでした。

通っては休んで通っては休んで

2年ほど悪戦苦闘したでしょうか。

何個かコースがあったのですが、秋コースでスタートしたと思ったら2か月で調子が悪くなり、冬コースのカリキュラムに変えてもらう。

それでも課題がこなしきれず、冬コースから翌年の春コースに変更する、といったことを繰り返しました。

転院を決意する

頑張ってるのに、どうしても気分の浮き沈みが収まらない…薬が効いてる感じがしない…

この時点で、私は転院することにしました。

この判断が結果的には功を奏しました。

転院、抑うつ神経症!?

ずっと通っていた病院の先生は穏やかで優しい方だったのですが、いまいち治療効果を感じられませんでした。

それが転院を決めた第一の理由です。

第二の理由は、単純に病院が遠かったから。電車を2本乗り継ぎ、駅から20分近く歩くのは、体力精神力ともに低下していた私には難しかったのです。

ネットで検索してみると、近くによさげな病院があったのでそこに通うことにしました。

こちらは徒歩で10分くらい。しかもカウンセラーさんもいらっしゃるっぽい。

すぐに予約を取りました。それでも2週間後とかだったのですが。

がらりと変わった投薬治療

新しい主治医の先生は、私といくつも年齢の違わないような女性の先生でした。

それまでの主治医とは違って、親身に話を聞くよりはドライな対応の先生でしたね。

その先生からは、今までの処方とは全く違うお薬を出されました。

ジプレキサ、リスパダールという向精神薬です。

これの副作用で太ったこと太ったこと。半年で20キロ増えました。

抑うつ神経症ってなんだ?

新しい主治医の先生によると、うつ病ではなく抑うつ神経症なのではないか、ということでした。

聞いたことのない病名だったので、ネットや本で調べました。

抑うつ神経症は気分変調性障害とも言われます。症状を詳しく説明している病院のホームページがあったので、一部引用します。

不活発、無力感、快感消失、自尊心の低下に苦しむ点は、うつ病と重なる症状です。しかし、うつ病とはまったく別の疾患です。うつ病は食欲や性欲の低下、焦燥感、精神運動の制止(なにも考えられなくなる)といった客観的にもわかる症状が現れるのに対し、気分偏重障害は「気分が落ちこんでいる」という主観的な症状が中心で、それを自ら訴えることが多い障害です。落ち込みの度合いはうつ病より軽く、しかし長期間にわたる点が特徴的です。(ハートクリニック大船ホームページより)

「うつ病ではなかった!?」

ずっと自分はうつ病だと思っていた自分にとって、それは結構な衝撃でした。

これで病状は好転したかというと、むしろ悪化しました。

薬は効かず、自殺衝動が止まらなくなりました。

この時期は、毎日のようにいのちの電話に電話をかけ、友達に泣きついたりしていました。

精神的に不安定な友人をお持ちの方へ。

「今日は〇時までは話聞けるけど、それから先は聞けない」「この日は仕事があるから会えない」

など、しっかりと友人と自分の線引きをしてください。

友人の病気を治すのは本人と主治医です。関わりすぎると、最悪の場合共倒れになります。

自分の心と体を一番に考えてください。

幸い、臨床心理学を専門授業で学んだことのある友人が近くに住んでいました。さすがにその辺りの線引きはうまかったです。

私がインフルにかかった時は食事と水分を持ってきてもらいました。

もう、感謝してもしきれないです。

主治医が転勤、新しい先生からの処方薬

2018年3月末、主治医の先生から転勤することを伝えられました。

ようやく主治医とのドライな関係に慣れ始めたかな?と思った矢先だったのでショックでしたね…

新しい先生も女医さんです。この先生との出会いで、ぐるぐる迷走状態はひとまず終わりを迎えます。

ラミクタールって双極性障害の薬ですよね?

最初は前の主治医の処方通りだったのですが、体重増えすぎ、月経が止まっていることを重く見て処方が大幅に見直されました。

2018年7月、ラミクタールという薬が処方されました。精神科ではてんかんと双極性障害に使われるお薬です。

これがてきめんに効きました。

2週間で、気分の沈みこみがなくなり、気分も上向いてきました。あんなに悩まされた自殺衝動もどこへいったのやら、とんと顔を見せなくなりました。

ラミクタールは合う人と合わない人の差が激しいお薬です。

全身に発疹が出る人もいるので、服薬は絶対に主治医さんの指示に従ってください!

フリーランスになろうと決意する

体調が安定したので、お金稼ぎたいなって思いが自然とわいてきました。

とはいえ、もう電車には乗りたくありませんでした。スーツもストッキングもパンプスもこりごりです。

というか、京大卒とはいえ5年も空白期間のある職歴なしの女性をどこが雇いたいのか?

外に出たくないなら家で稼げばいいじゃない。

正社員にならないと働く意味がない。そんな風に考えていた時期もありましたが、

「もういいや…そこにこだわってたら一生働けないわ」って感じでした。

こだわりを捨てることができたんですね。柔軟な考えができるようになったとも言えます。

今はフリーのWebライターです

フリーになりたくてなったのではなく、半分成り行きでフリーとして働き始めた感じです。

とはいえ、通勤もなく服装も自由という仕事形態が私には合っているようです。

クラウドソーシングサービスで稼ぐ

フリーになって最初にしたことは、学生時代にお小遣い稼ぎ程度に登録していたクラウドソーシングサービスを利用することです。

プロフィールをしっかり書き、積極的に案件に応募しつつ単発の仕事をこなす、という感じです。

あまり気を張って頑張りすぎないでください。

精神疾患にかかる人は総じて真面目な頑張り屋さんが多い印象なので。

本格的に仕事を探し始めて2週間ほどで、とあるビジネス系メディアの記事構成のお仕事をすることになりました。

SEOは何となく聞いたことがある程度の私でしたが、マニュアルとチャットでの説明、研修期間のフィードバックがしっかりしていました。

そのおかげで、今は継続してお仕事をしています。1か月で100件くらい構成を書いたでしょうか。

ほかにも、名刺入力のお仕事を請け負っています。こちらはひたすら文字を打ち込む作業です。

集中力が戻ってきたので、継続してお仕事を続けられています。

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後輩の事業のお手伝い

きっかけは、タイムラインに流れてきた後輩のツイートでした。

ライターが足りない。誰か興味のある人いませんか?

クラウドソーシングサービスで何個か記事を納品していた&文章を書くのが苦ではなかったので、話を聞きに行きました。

文字単価は1円。

クラウドソーシングサービスでは価格崩壊が進んでいます。文字単価0.2円も普通にあることを考えると、これは破格の条件でした。

このお仕事、マニュアルとフィードバックが親切すぎるほど親切、そしてレスポンスが早い!

何より、クライアントが学部もサークルも同じ後輩だというのが安心できます。

幸い高い評価をもらって、今も月に2本から3本程度の記事を納品しています。

おわりに

今は、ビジネス系メディアの記事構成、名刺入力、後輩の仕事のお手伝いの3本柱で収入を得ています。

金額はまだまだ微々たるものです。

しかし、1円も稼げなかった、ひたすら消えたいと思っていた時期を考えると、自分がお金を稼げているのが信じられません。

人間、働かなくても生きていけますが、私の場合働いていた方が楽です。

モットーは、「ぼちぼちやりましょう」。頑張りすぎて体調崩したら元も子もないので。

予想以上のボリュームになりました(笑)略歴じゃないですね、もはや。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!

ABOUT ME
みずほ
京大卒フリーライター。大学在学中、適応障害を患う。病名はうつ病→抑うつ神経症→双極性障害Ⅱ型と変化。今は寛解。公認会計士を目指すも挫折。フリーター→ニート期間を経て、現在はWebライターとして活動中。 お仕事依頼はDMにてお願いします。